考察:曖昧さのもたらす恩恵
今回はシリアスです。
異論反論歓迎です。 前のエントリー、「曖昧さのもたらす恩恵」が結構反響があり、いろいろな方からコメントを頂いた。 その中でも、今回特に映像音楽関係の方からのレスを頂いたのだが、あたし自身もそれについては考えさせられるところもあった。 なので、この件に関して改めて考察してみようと思った。 初めに断っておくが、今回の意見はあくまで主観的な立場から述べる。 あの話を件の社長さんとしたあと、初めそういうものかと思っていた自分もいた。 だが、日を追うごとに無性に腹が立ってきた。 普通は、だんだん冷静になると思うのだが、どうにも喉につかえた小骨のごとく、気になってしょうがない。 あのエントリー自体、それなりに時間を置いて書いたつもりだったが、やはりまだ感情論の域を脱していなかったように思う。 それが悪いとは思っていないけど。 その編集者に対する怒り、それももちろんあると思うが、そっちよりもむしろ「寂しかった」と言った方が合ってるのかもしれない。* 今回、初めてこちらに来られた方、もしくはここで引用するエントリーをまだ読まれていない方は、こちらをどうぞ。
さて、例のアメリカの出版社の社長さんが日本に出張に行ったおりに話したという某大手編集者。 あたしはその日本人の編集さんに会った事も無ければ、その場に居合わせたわけじゃない。 だけど「裏切られた」ような気がしたのだ。 これは、あたしが特に今海外に居るからそう感じるのかもしれない。 もう周知の事実だと思うが、マンガというジャンルが海外においても確立しつつある。 その、今や日本を代表するカルチャーともいえるマンガに、多少は関わった者として、それなりの誇りと自負もあった。 例え、ジャンルの違うマンガ、あるいはライバル雑誌の人であれ、同じ「日本のマンガ」というくくりでの、暑苦しいかもしれないが戦友に近い感覚すら持っていた。 その当の日本人に、それを否定、いや、拒否された気がした。 「そんなのお前が勝手に思ってる事だろう」といわれれば返す言葉も無いが・・・(苦笑) まあ、初めに断った通り、これはあくまであたしの主観的な意見であるけど。 以下は自分の体験。 「信長」を連載していた当時、毎週毎週やってくる編集者とのバトルが本当に憂鬱でしょうがなかった。 当時のメイン担当者はそれはもう厳しい人だったし。 毎回毎回、厳しい言葉とともにネームを投げ返される。 *ネーム:漫画において、シナリオを絵にするもっとも初期の状態。 ページの割り振り、コマ割り、台詞、構図、全てがこの段階で決まる。細かい絵は描き込まない事がほとんどだが、ストーリーの骨組みを決定する最も重要な作業。 それが悔しくて泣きそうになった事も結構あった。 だが、一番の原因は良いネームをあげる事の出来ない自分にある、それは痛いほどに分かりきっていた。 そして、漫画家としての自信も一時期失いつつあった。 人生経験も豊富ではなかったし、アシスタントさん達のような下積み経験もない、大学を卒業してすぐに、大した社会経験も無いぺーぺーのあたしが果たして天下のマガジンに連載を持ってる事すら負い目に感じていた。 そして、毎回毎回、アイディアを頭をしぼって出してくれる編集さんの存在をありがたいと思いつつも、連載の回数を重ねるごとに、だんだんそれが重荷となっていった。 今となっては失礼この上ない話ではあるが。 だったらいっその事、立場がイーブンになれば気分が楽だ。 (と、安易にそう考えた。まあ若かったからねw) で、ある日、編集さんにきいてみた。 「よかったら、○●さん、名前を作品にクレジットしませんか?」 と そしたらその編集さん、 「その必要は無い、これが僕らの仕事だ。君は良いネームをあげる事だけを考えろ」 そうぶっきらぼうに言い放った。 めちゃくちゃ厳しい人だったが、あたしのその編集者に対する信頼は絶対的なものとなった。 あの頃の自分ふがいなさを今でも申し訳なく思っている。 もしもこの先、組める機会があるならば、今度こそ、その人を満足させられる物を描いてみたいと、今更ながらに思う。 まあでも、こっちがそう思ってるだけで向こうはもう懲りたかもね。(笑) 話を戻すと、例の編集者の言動は、極論かもしれないが、漫画家の編集に対する信頼のみならず、日本の漫画編集の格を落としたような気がした。 信頼、というのが、恐らく日本人が最も美徳としているものだと思う。 かつての終身雇用制も、お金を「仕事」に対して払うというよりも、その人の持つ「信頼」という物に対する対価というほうが比重が大きい気がする。 これは非常に日本人に向いた雇用制だと思う。 「口約束でも約束」が通用する国だから出来る事で、島国である日本が生んだ特異な制度なのかもしれない。 ここ数年で、日本のビジネスの仕組みもだんだんアメリカ型に移行しつつあるが、果たしてそれが向いているのか、あたしですら疑問に思う。 おおざっぱにいえば、アメリカの被雇用者は基本的に雇用主を信用しない。 そして、雇用者も被雇用者を信用しない。 だから被雇用者は自分のキャリアを延ばすために会社を転々とする。 こっちの社会では「信用」よりも「利用」し合ってナンボ。 それは、被雇用者でもでも雇用主でも。 雇用する側は被雇用者を利用するし、その逆もまた然り。 相手を信用する社会じゃないから、契約内容も厳しく、訴訟が絶えず、弁護士が幅を利かす。 話がそれた。 マンガの世界というのは、今まで一種の閉じられた空間だったからこそ今までの編集と漫画家の関係やシステムが構築できたのかもしれない。 だが、マンガも認知度が上がり、世界で需要が伸びるにつれ、件のような考え方を持った出版社や編集者も増えてくるかもしれない。 だんだん、今までの日本型のシステムが機能しなくなるのかもしれないと思うと、少し怖くなった。 #124 考察:曖昧さのもたらす恩恵#125 考察:曖昧さのもたらす恩恵captaincさん>
お返事ありがとうございます。 多分、ここでお会いするのは初めてじゃないと思うのですがw。 あたし自身は日本の企業に「就職」という事をした事が無いので、大変勉強になります。 captaincさんのおっしゃる「甘え」というのは恐らくあたしのいう「曖昧さ」に相当すると思われますがそれこそが恐らく日本の組織においての「特徴」という点では理解できます。 もちろん、一長一短あるでしょうし、職種においての向き不向きというのもあると思います。 で、captaincさんのおっしゃる、 >日本の漫画業界そのものの組織特性から必然的に生じているものであるともいえる。日本の漫画業界の中で生きてゆこうと思うのであればそういうものも含めて受け入れなければならない。 というところですが、あたしも全く同感です。なので、 >問題の編集者の発言が典型的な「甘え」そのものであることは議論を待たないところではないかと思います。米国での生活を経たNAGATEさんがそれを「ヌルい!」と一喝されるのも理解できるところであります。 これは少しあたしの言いたい事とは違いますね。 あたしは何も、編集者のグチそのものを攻めているわけではないんです。 甘えももちろん合って結構。 だがそれは日本人の枠内で収まるときにだけ通用するという事です。 特に相手はアメリカ人、「郷に入れば郷に従え」って言葉からは一番縁のない人たちです。 そこら編の切り替えを日本人ビジネスマンも心するべきだというのがあたしの意見です。漫画もだんだん国際化しつつありますから、(時間はかかるにしても)編集者もこちらの会社の人に会うときはそれなりの注意が必要だと。 日本式の「甘え」なんて、全く通用しない連中です。 井の中の蛙で居られる時代はもう過去になりつつあるのかも知れません。 #126 考察:曖昧さのもたらす恩恵こんにちは、早速のレスポンス、どうもありがとうございます。
>そこら編の切り替えを日本人ビジネスマンも心するべきだというのがあたしの意見です。 日本式の「甘え」は不特定多数に対して向けられているそれであって、土井の著書の中の冒頭、国際線のスチュワーデスとの会話の部分にもあるように、「甘え」的人間関係をそれが通用するかどうかわからない相手に対しても求めてしまうことを含んでいると考えられます。つまり、ここでいう、相手を見て「切り替え」ることが出来ないことをも含んでいるのではないかということです。 かつて日本式の終身雇用、年功序列型の雇用システムが日本の強みだという議論がなされた時代があります。それは結局批判され、現在は日本の会社にも能力主義が少しずつ浸透してきているようにも思われますが、今の漫画を取り巻く環境はそれ以前の状態であるといえると思います。 ビジネスの上でのこういうスキが多い状態をNAGATEさんは批判されているのだと思うのですが、そういうスキがあることも止むを得ないのだ、それと日本の高いクオリティーの漫画文化は不可分なものであるのだといいたいのです。 ただし、自動車業界の例を持ち出すまでも無く改善は可能であるとは思うのですが、いきなりそれは求められない。しかも、自動車のように「モノ」としての性能と分離してビジネス関係を改善できるような分野であればいいのですが、漫画はあくまでもカルチャーです。中身を替えずに一部分だけ都合のいいように変えることが出来るんでしょうか。 >マンガの世界というのは、今まで一種の閉じられた空間だったからこそ今までの編集と漫画家の関係やシステムが構築できたのかもしれない。 >だが、マンガも認知度が上がり、世界で需要が伸びるにつれ、件のような考え方を持った出版社や編集者も増えてくるかもしれない。 >だんだん、今までの日本型のシステムが機能しなくなるのかもしれないと思うと、少し怖くなった。 この考察はまさに慧眼であり、漫画が世界に進出してゆくときに余儀なくされる漫画生産の日本的システムの遷移がクオリティーに影響するかもしれないことを危惧されているという、非常に重要な予言(預言)であると思います。 方向性を変えて、質問があります。 Mangaはアメリカではビジネスとして成立する可能性はあるとお思いですか? 失礼します。 #127 考察:曖昧さのもたらす恩恵お返事ありがとうございます。
さて、 >ビジネスの上でのこういうスキが多い状態をNAGATEさんは批判されているのだと思うのですが、そういうスキがあることも止むを得ないのだ、それと日本の高いクオリティーの漫画文化は不可分なものであるのだといいたいのです。 と、ありますが、captaincさんのご意見は、多分あたしの言ってる事と根本的にはだと思いますよ。 前にも述べたと思いますが、別にあたしは日本のシステムそのものを批判しているわけではないんですよ。 ポイントは相手をちゃんと知らないと足下を見られるという事です。 愚痴にしたって、同じ日本人でも誰にでもぶちまけるわけじゃないでしょう。 それによってとばっちりを食う人も居るわけだから、これは日本の構造なんだから仕方無い、止む終えないじゃ済まされなくなる事もあるという事です。 それは今回自分が体験した事にも確実に繋がってます。 世界の流れがそうなってきてる中で、「日本が漫画のオリジナルだから」、で通用する相手ではありません。 でも、漫画はこちらにおいてはまだ新しいビジネスですので、自分の経験が良い意味で生かせれば良いなとは思っています。 で、質問の >Mangaはアメリカではビジネスとして成立する可能性はあるとお思いですか? あくまで私見ですが・・・・ 現在VIZという小学館と集英社資本の会社がこっちにあるのですが、漫画のノウハウを知っている彼らがどういうビジネスを展開するかにもよると思います。 需要は確実にあるわけですから、可能性はあるにはあります。 ただし、日本スタイルの漫画というのはやはり難しいかと。 流通経路等色々課題は山積みですし、漫画編集のプロが居ないのがネックですね(この場合アメコミは含みません。あくまでマンガ) クオリティーだけでは日本のように、マンガそのもので勝負できるようになるにはまだ時間がかかるでしょう。 そのかわり、ハリウッドやゲーム産業等との提携が鍵になるのではないかなと。 |
Profile
LinkCalenderRecentCommentsTrackbackArchiveMy Favorite Site |
ブログ一般に対してコメントを投稿するのは初めてのことなので、幾分的外れな内容になってしまっているかもしれないことをお許しください。
まず、私自身は日本国内の某メーカーの研究所に勤めているエンジニアであります。私が日本的な会社組織に関して常々感じていることが、NAGATEさんのエントリーで申し上げていたことと非常に近いような気がしていますので、自分の中での考えをまとめるという意味でもコメントをしてみようかという気持ちになりました。
研究というと一般的には企業内であってもエンジニア一人が中心となって、必要に応じてテクニシャンと呼ばれる技術補助をしてくださる方々にお手伝いしていただくというシステムが一般的なのですが、たまたま私が所属している部署はチームで行う共同作業が主になっています(漫画のスタジオをイメージしていただければかなり近いと思います)。チームワークにおいてもそれ以外の点においても、たとえば仕事をする上での明確なオーダーが無かったり、就業規定などの明文化されているルール以外の不文律みたいなものが多いです。古典的ですが「「甘え」の構造」で土居健郎が述べているような典型的な組織特性がそこには見られるのです。その中でも一番顕著であるのが、テクニシャンやエンジニアを含めた従業員の評価システムです。組織が有機的に構成されている状況では、各要素の貢献度が明確に評価できないことは良くあることではないかと思うのですが、ですので、問題になっている編集者のぼやきも日本の組織の中でよくある、典型的な評価に対する不満なのではないかと理解されます。
結論を述べておきますと、私の意見は「問題の編集者の発言は彼の個人的発言であると同時に、日本の漫画業界そのものの組織特性から必然的に生じているものであるともいえる。日本の漫画業界の中で生きてゆこうと思うのであればそういうものも含めて受け入れなければならない。」というものです。
私がいる業界においては、日本の企業は米国を含めた海外のそれに比べてかなり劣っているといわれています。研究開発にかかる費用が莫大であるために、いわゆるスケールメリットが大きく、海外の会社はM&Aを繰り返して肥大化し莫大な開発資金を投下しているのに対して、我国の企業は企業買収などにまだまだ不慣れであって十分な大きさを確保できていない。業種としての利益率が非常に高いために、小さい企業でもそこそこ生き残っていけてしまい、企業内・業界内での組織再編、活性化が遅れているというのが現状です。本来研究開発というのは組織を流動化させ、評価システムを明確化させることによってエンジニアのインセンティブを向上させる経営を目指さなければならないと思うのですが、そういうことは日本の「「甘え」の構造」の中では難しいのではないかという印象です。
漫画業界については良くわかりません。しかしMangaが世界に通用する日本のカルチャーの一つになったのは、いわゆる日本的な「甘え」が背景にあるのではないかと「曖昧さのもたらす恩恵」の関連のエントリーやコメントを読んで感じました。「甘え」には漫画やアニメに代表されるようなサブカルチャーを育成する土壌を形成するような要素がある。しかし、同時に問題の編集者のような発言が生まれてしまう素地をも併せ持っているのではないでしょうか。
問題の編集者の発言が典型的な「甘え」そのものであることは議論を待たないところではないかと思います。米国での生活を経たNAGATEさんがそれを「ヌルい!」と一喝されるのも理解できるところであります。しかしNAGATEさんを担当された編集者の方のような方を育んで行っているのも、逆に問題の編集者のような方が生まれてしまうのも同じ土壌からではないでしょうか。したがって、アメリカではMangaは作品として輸入(輸出)されてヒットすることはあっても、Mangaをアメリカで作ってゆくということは難しいのではないかと感じました。著作権のシステムが国際的に(厳密に言えば少なくとも日米間では)ハーモナイズされている現状では、たとえアメリカの出版社のボスが日本の一編集者のぼやきをtake advantageしたところで、日本の漫画そのものを脅かすような存在にはなりえないでしょう。アメリカ的なものは、研究開発には向いているけれども、少なくともMangaには向いていないようですから。
だいぶ長くなってしまいましたが、NAGATEさんの提起されている問題は日米の古くて新しい問題の表象の一部であると思います。しかし、日本の自動車業界がそうであったように、乗り越えてゆくことが可能なものの一つであるとも思っています。今後のNAGATEさんのご活躍をお祈りいたしております。失礼いたします。